『リトル・ガール』セバスチャン・リフシッツ監督インタビュー

7歳のトランスジェンダーが抱える葛藤と家族の真実!

#セバスチャン・リフシッツ#ドキュメンタリー#トランスジェンダー#リトル・ガール

リトル・ガール

最初は親たちから警戒され、避難されることもあった

『リトル・ガール』
2021年11月19日より全国公開
(C)AGAT FILMS & CIE – ARTE France – Final Cut For real – 2020

多様性やジェンダーの問題が叫ばれるなか、新たに誕生した感動のドキュメンタリー『リトル・ガール』。男の⼦として⽣まれた7歳の少女サシャと、⼦どもの幸せと⾃由を守ろうとする⺟カリーヌの姿を映し出し、各国で大きな反響を呼んでいる。

本作を手掛けたのは、社会の周縁で生きる人々に一貫して光を当ててきたことでも知られるセバスチャン・リフシッツ監督。そこで、この題材に取り組んだきっかけやサシャとの出会い、撮影の裏側について話を聞いた。

「わたしは女の子」性別の違和感と闘う少女ととその家族の姿を追う

──サシャについて撮ろうと思ったのは、なぜですか?

監督:フランスでいち早く性別適合手術を受けた1935年生まれのトランスジェンダー、バンビの映画を数年前に撮ったからだと思います。本人から聞いた話では、3~4歳の頃にはすでに心の奥底で自分は女の子だと感じていたそうですが、その話を聞いたときに考えさせられるものはありました。
というのも、トランス・アイデンティティの問題というのは、体に変化が表れる思春期に直面するものだとされてきたからです。バンビの話を聞いて、トランスジェンダーの人は思春期のずっと前から問題に直面しているのだと驚かされました。トランス・アイデンティティというのは、思春期の性の問題とは切り離された問題だと気づいたのです。そして、トランスジェンダーについてもっと理解するには、アイデンティティの問題にぶち当たっている現代の子どもを取り上げなければならないと感じました。

──その後、どのようにして進めていったのでしょうか?

監督:『思春期 彼女たちの選択』の編集中に、プロデューサーのミュリエル・メナールに自分のアイデアを打ち明けました。それからすぐ主役を探し始めましたが、「何年かけても撮影を許可してくれる家族は見つからないのではないか?」と半信半疑。それくらい不可能なミッションだと感じられたのです。
そこで、トランスジェンダーの子どもをインターネットで探すことを思いつき、性別違和の子どもを持つ親たちが体験談を書いているフォーラムにメッセージを投稿しました。最初は私たちが何者なのかも知らなかったので警戒されましたし、わいせつ目的でのぞきに来たのだと反射的に非難されて怒られたことも。なので、私たちは「関係者に敬意を持って取り組んでいる。映画を通してトランス・アイデンティティについて知ってもらい、受け入れてほしいのだ」と説得に力を注ぎました。

──サシャや家族とはどのようにして出会ったのかを教えてください。

監督::そのなかで返事をもらうことができたのは、カナダとフランスにいる二つの家族から。カナダの家族はとても温かく、「会いに来て! ここでは社会がトランス・アイデンティティの問題を完全に理解してくれていて、驚くほど受け入れられている」と教えてくれました。私たちは言葉が出ないほど驚きましたね。
それからサシャの母、カリーヌから連絡をもらうことに。カリーヌはとても慎重なトーンで、私たちが映画で描いたような状況を教えてくれたのです。そして、「サシャについて話すのがいいことなのか悪いことなのか決心がつかずにいる」と。
私たちはメールでやりとりを始めていましたが、カリーヌから「まずはサシャ抜きで会いたい」と提案がありました。意気投合し、すぐに信用し合うことができたので、素晴らしい初対面でしたね。2度目の対面では、牛乳とクッキーを食べながらサシャや他の家族と会いました。

──本作では、優しく守ってくれる場所として家族を描いています。

監督:この家族と初めて会ったとき、まさに映画に出てくるような、とても堅実で団結した家族だと感じました。それは誰が見てもわかるくらい、家族同士に無条件の愛の絆があったのです。おそらく、サシャがつらい経験をしていたので、サシャを守るために家族が一つになっていたのかもしれません。
その一体感を捉えるため、家庭を泡のようなものとして見せていますが、泡の中でサシャと家族は安全に生きていけるのです。学校やバレエ教室、あるいは路上など、家庭の外には大きな脅威がありますが、カリーヌが危険を察知して脅威に対応しているのです。

──家族は映画撮影にすぐ同意しましたか?

監督:慎重に進めるため、最初は1日だけ撮り、どんなふうにスタッフと撮影を進めるのか見せることにしました。子どもたちが裏庭で雪合戦をしているシーンは、初日のことです。美しい感じがすごく伝わってとても感動し、それが一体何なのか、パリへの帰り道でスタッフと考えていたのを覚えています。彼らは最初から私たちを受け入れてくれたので、私たちも彼らを無条件に愛しました。

──目障りになることなく、家族のプライベートを撮るためにした工夫は?

監督:撮影監督と音響技師、助監督だけにして、スタッフの人数を抑えて撮影しました。私だけが家族と絆を深めてもダメで、撮影スタッフ全員が家族に受け入れられ、愛されないといけません。できるだけ自然に、彼らの生活の一部になるよう努めました。いきなり何日も何週間も、何ヵ月も一緒に過ごそうというのですから、今までにない関係性です。彼らは最初から私たちを受け入れ、サシャを守る第二の仲間のように感じてくれました。

──サシャは、あなたたちを自分の世界に受け入れてくれましたか?

監督:サシャは何も考えずに行動するような子ではないので、カメラを意識していました。例えば、撮影を始めた頃、サシャに部屋の様子を撮っていいか聞いたとき、兄弟以外、誰も部屋に入れたことがなかったので、少しためらっていたことも。部屋はサシャの王国であり、秘密の部屋。サシャの部屋が少女の部屋であることを学校の人は誰も知りません。自分の世界に私たちを入れることで、サシャは信頼を示してくれました。

──撮影で印象に残っていることといえば?

監督:あるとき「遊んでいる様子を撮りたい」と言うと、彼女は面食らったように私を見たことがありました。その後、ベッドに座っていた彼女に「遊ばないの?」と尋ねると、「遊ばない。普段遊ぶときは1人だから」と答えたのです。つまり、私たちが部屋にいるから1人で遊んでいるふりができないのだと。役者でもないのに演じるなんてバカバカしいとサシャは考えて、断ってきました。私は彼女の抵抗がすばらしいと思いました。
またあるときは、部屋の撮影で私たちの準備がまだだと思っていたサシャは、まったくカメラに注意を払うことなく、ベッドに横になって、端に頭をだらんと下げて遊んでいたのです。しかし、撮影していることに気づくと、「この秘密のスペースで撮らせてあげているのは私だよ」と言わんばかりにレンズをじっと見つめてきました。その目は、とても力強いものがありましたね。

──子どもの目の高さで撮るという発想について、教えてください 。

監督:それはとても重要なことなので、撮影中はそのことを常に注意していました。できる限りサシャの目線で撮っていますが、それによって彼女に寄り添い、共感の絆を生み、そしてサシャの体験を理解できるようにしています。

──監督の映画は、ジェンダー規範に疑問を投げかけるものが多いです。7歳の子にも規範が押しつけられているという事実と向き合うことで、ジェンダー規範の残酷で抑圧的な面を明らかにできたと思いますか?

監督:私は、サシャが我慢していた暴力をとても強く感じましたが、今回は私たちにとっても問題が起きました。撮影中、学校がずっと邪魔をし続けてきたのです。サシャとその家族の映画を撮っていることが彼らを動揺させたのでしょう。 学校がサシャを女の子と認めるまではものすごく長い時間がかかりましたが、この映画が彼らにプレッシャーをかけたのです。
病院というと、合理的で冷たい場所だと思われていますが、小児精神科医の先生はサシャに対して非常に人間味あふれる接し方をしていました。 先生の役割はサシャが体験していること、サシャが心の奥底で感じていることを言語化する手助け。もしサシャが何も言わなくても、何か言わせようとはしません。何年も行われてきたサポート法で、必要なときだけサシャを助けるのですが、無理に何かをさせなくても、すべては好転し得るのです。

小児精神科医の先生の答えを、多くの人に聞いてほしい

──映画の中で、家族は仲間を探さなければなりませんでしたが、頼れる人が少ないのが印象的でした。

監督:初めて出会った頃、カリーヌは追い詰められていましたし、サシャを理解し助けてくれる人を長い間探し続けて疲れていたのです。彼女が住むのはフランス北東部で、誰も相談相手がいません。かかりつけ医など、アドバイスできる人はわずかにいるのですが、専門分野の研修を積んだわけではないので、手助けどころか逆に責めてしまうことも。悪意があるわけではなく知識が足りないせいで、家族を傷つけてしまうこともあるのです。

──小児精神科医とは、どのようにして出会ったのでしょうか。

監督:パリにあるロベール・ドブレ小児病院に性別違和の子どもを受け入れる部門があるとカリーヌに教えたのは私ですが、カリーヌにとっては一縷の望みでした。小児精神科医の先生との初対面は、長く感動的なシーンでしたね。
あのシーンで、家族が(社会からの抑圧に)長年耐えてきたことが伝わり、サシャの苦しみを初めて認識することになったのです。カリーヌは「私が何か悪いことをしたのでしょうか?」「サシャがお腹の中にいるときに『女の子が欲しい』と思ったのがサシャの性別違和の原因?」「女の子みたいな服を着せていたのは正しかった?」など、長年心の中で悩んできたことについて質問しました。
小児精神科医の先生の答えはカリーヌを悩みから解放し、長年抱えてきた罪悪感や不安がほんの数分で消え去ったのです。この先生の答えを、多くの人に聞いてほしいと願っています。この映画には教育的な一面もあるのです。

──『リトル・ガール』は、サシャの母親に関するドキュメンタリーでもあり感動的です。母と娘の関係で特に胸に響いたのはどこでしょう?

バレエ教室では、男の子の衣装しか着させてもらえないサシャ

監督:子どもを守るためにはどんなことでもやるという覚悟が、カリーヌから伝わってきました。カリーヌにとっては譲れない闘いです。サシャについて少しでも反対したり、攻撃したり、意見したりしようものなら必ず厳しい反論をします。カリーヌが偉いのは、周りに迷惑をかけていることにも気を配っている点です。サシャばかり気にしているため、他の子どもに構う時間が少なくなっていることを彼女はわかっています。
カリーヌは実際、闘いには犠牲が伴うこと、「大変だけど仕方ない」を子どもたちに説明するのです。やがて子どもの1人、ヴァシリが「ちゃんと分かってるよ、しょうがないもんね」 とカリーヌに言ってあげるのですが、10歳にして驚くべき成熟ぶり。ヴァシリは家族の闘いをちゃんと理解していたのです。

──「女の子らしさ」の成長を撮ることによって、湧き上がった疑問は?

監督:サシャはいかにも女の子らしい物に愛着を持っていました。特に、服やおもちゃには強い興味を持っていましたね。カリーヌから最近聞いたのですが、サシャは学校で女の子として受け入れられて以降、女の子らしい物へのこだわりが減り、男の子らしい色や服、遊びも急に受け入れられるようになったのだとか。自分のアイデンティティを発信することについての不安が薄れたのでしょう。 自分が認められたいという欲求に関して、サシャは成長を遂げたのだとカリーヌは見ています。

──過去の作品と同様、『リトル・ガール』も 外から自分に与えられた役割と闘う人々を扱っています。監督の個人的体験と関係があるのでしょうか?

監督:学校で認めてもらえなかったり、仲間を見つけられなかったりすると、学校はつらい場所になってしまいます。私も学校で女の子っぽい、なよなよしているとバカにされたことがありました。でも幸い、私はビー玉遊びで一番強かったこともあり、攻撃を避けることができました。負け知らずだったので、みんなから一目置かれていたのです。それが煙幕になりましたね。
この映画は、サシャのトランス・アイデンティティの問題に加えて、子どもが人と違うということはどういうことなのかを扱った作品でもあります。社会の規範を外れて成長し生きていくことの意味を考えた作品なのです。

──サシャにバンビのことを話しましたか?

監督:もちろん。すごいと感動していて、カリーヌと私がバンビについて話すと喜んでいました。トランスジェンダーは悲劇なんかじゃない、堂々と生きていいと感じたのでしょう。サシャはバンビをヒロインのように捉えています。

セバスチャン・リフシッツ
セバスチャン・リフシッツ
Sebastien Lifshitz

1968年生まれ、フランス・パリ出身。美術史を学んだあと、1990年から現代美術の世界で働き始める。2000年には、初の長編『PRESQUE RIEN(原題)』を制作。批評家に絶賛され、世界で公開となる。初のドキュメンタリー『LA TRAVERSÉE(原題)』は01年カンヌ国際映画祭の監督週間でプレミア上映、長編フィクション『WILD SIDE(原題)』は04年ベルリン国際映画祭のパノラマ部門で上映された。その後も、『LES INVISIBLES(原題)』『BAMBI(原題)』『LES VIES DE THÉRÈSE(原題)』『思春期 彼女たちの選択』などを制作し、各映画祭で高い評価を受けている。