小泉今日子を支えた2人のブレーン

#映画を聴く

小泉今日子
小泉今日子
小泉今日子
『ふきげんな過去』
6月25日より公開
(C)2016『ふきげんな過去』製作委員会

…前編「美魔女とは対局にある魅力とは?」より続く

【映画を聴く】後編/まだ変化の途中。
50歳にして変わり続ける小泉今日子の変わらない魅力

◆“花の82年組”では出遅れた存在だった!

小泉今日子の変化をバックアップしたブレーン/コラボレーターは数多いが、ここで挙げたいのは2人。レコーディング・ディレクターの田村充義とフリー編集者/ライターの川勝正幸だ。ともに“裏方”の人物で万人に知られているわけではないが、映画や舞台、音楽、文筆と多岐にわたる現在の彼女の活動は、この2人によって“気づき”を与えられた部分が多いように思える。

80年代、初期キョンキョンのイメージを作り上げた田村充義とはその後も長くタッグを組んでいるが、1985年の「なんてったってアイドル」は小泉今日子の持ち歌としてはもちろん、アイドル歌謡全体においても分岐点になった一曲。先述の82年組の中でも出遅れた観のあった彼女が本当の意味でブレイクスルーした楽曲であり、中森明菜や早見優、石川秀美、堀ちえみら同期の誰にも歌えない世界観を作詞:秋元康/作曲:筒美京平のコンビが具現化。今見ても、聴いても、そのパフォーマンスはこの上なくフレッシュだ。

小泉&田村コンビは、他にもバンド・ブームを意識して従来の打ち込みサウンドからバンド・サウンドにシフトした86年の「木枯らしに抱かれて」、大瀧詠一のナイアガラ・サウンドに飛び込んだ88年の「快盗ルビイ」など、今も聴き継がれる数々のヒット曲を送り出している。また、98年には一般公募の楽曲でまとめられたアルバム『KYO→』を制作するなど、“普通のアイドル”や“普通のアーティスト”にはできない試みも行なっている。

川勝正幸は、90年代前半の小泉今日子にとっての最重要人物。近田春夫、藤原ヒロシ、スチャダラパー、フリッパーズ・ギターら当時のポップ・カルチャーの“顔”と言える面々と交流があり、なおかつ海外の独立系映画作家や文学全般にも該博な知識を持つ彼の存在が、小泉今日子の脱アイドルの大きな契機となり、もともと本人が持ち合わせていた読書家、文筆家としての資質を刺激することにもなったのは間違いない。

2012年1月に川勝正幸は自宅の火災で亡くなっているが、彼の著書『ポップ中毒者の手記(約10年分)』の文庫版には小泉今日子による当時の回想文が寄稿されている。もちろん元夫であり役者としてライバル関係にあった永瀬正敏の存在も無視できない。95年から04年までの永瀬との結婚生活は、00年代以降に本格的な映画女優として開花するにいたる内的、外的な“種”を多く含んでいたはずだ。

昨日の「徹子の部屋」にゲスト出演、老眼鏡をかけるようになったことに触れながら「自分にまだ変化する部分があることが楽しい」と話していた小泉今日子。50歳にしてまだまだ変化の途中。映画もいいが、歌い手としても2012年の『Koizumi Chansonnier(コイズミ・シャンソニエ)』に続くオリジナル・アルバムの登場をそろそろ期待したいところだ。(文:伊藤隆剛/ライター)

伊藤 隆剛(いとう りゅうごう)
ライター時々エディター。出版社、広告制作会社を経て、2013年よりフリー。ボブ・ディランの饒舌さ、モータウンの品質安定ぶり、ジョージ・ハリスンの趣味性、モーズ・アリソンの脱力加減、細野晴臣の来る者を拒まない寛容さ、大瀧詠一の大きな史観、ハーマンズ・ハーミッツの脳天気さ、アズテック・カメラの青さ、渋谷系の節操のなさ、スチャダラパーの“それってどうなの?”的視点を糧に、音楽/映画/オーディオビジュアル/ライフスタイル/書籍にまつわる記事を日々専門誌やウェブサイトに寄稿している。1973年生まれ。名古屋在住。
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