無知が、見当違いの憎しみを増幅させる。カウリスマキ監督の静かなメッセージに共感

#週末シネマ

『希望のかなた』
(C)SPUTNIK OY, 2017
『希望のかなた』
(C)SPUTNIK OY, 2017
『希望のかなた』
(C)SPUTNIK OY, 2017
『希望のかなた』
(C)SPUTNIK OY, 2017

【週末シネマ】『希望のかなた』
ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞の難民3部作・第2弾

今夏フランスのパリを訪れた時、空港から市内へ向かうタクシーから見た光景が忘れられない。高架下に数え切れないほどのホームレスがいた。彼らは皆、紛争が続くアフリカや中東から逃れてきた難民だった。こうした光景が各地に広がるヨーロッパの現状を、独特のユーモアをまじえて描写し、不寛容な世界の無情さに苦しむ人々が互いに寄せる情けの美しさを描いた『希望のかなた』。2017年のベルリン国際映画祭で監督賞にあたる銀熊賞を受賞したアキ・カウリスマキ監督の、難民3部作の第2作だ。

描いたのは戦いではなく撤退。IMAXカメラを駆使した迫力映像が圧巻!

主人公は内戦が激化するシリアを逃れ、フィンランドにたどり着いた青年カーリド。国から脱出する途中で生き別れになった妹を探している彼はヘルシンキに上陸後、そのまますぐに警察署に出頭する。“いい人々のいい国”と聞かされてきた地で在留許可を得るため、正攻法で難民申請したのだ。だが、街ではネオナチの集団に絡まれ、申請は却下されて国へ送還されることが決定。施設を脱走した彼は、妻と離婚してレストランを開業したばかりの老人ヴィクストロムと出会う。

深く詮索はせずにカーリドを受け入れ、レストランで雇うヴィクストロムも従業員も、街中で演奏しているストリートミュージシャンたちも、フィンランドの人々は皆、仏頂面だ。それでいて、ヴィクストロムは様々な事情を抱えた従業員たちを思いやり、カーリドとすれ違う人々の多くも彼の事情に薄々気づきながら見逃す。カーリドも街を歩いていてホームレスに出会うと、思わず小銭をあげようとする。社会の片隅でひっそりと生きる人々が、より困っている人に手を差し伸べる。ささやかな善意の美しさは、排他的に傾きがちな現代社会への静かなメッセージだ。

カーリドを演じるのは、遠目から一瞬見ると山田孝之にそっくりのシェルワン・ハジ。シリア出身の俳優で、結婚を機に2010年からフィンランドに移住してから、遠ざかっていた演技に久々に挑戦したのが本作だ。国を出た理由こそ違うが、同胞の苦しみや、異邦人として生きる経験を知る彼だからこそ、抑えた演技の中で、苦境にあっても希望を追い求める青年の喜びも悲しみを豊かに表現している。『白い花びら』の主演を始め、『過去のない男』『浮き雲』などカウリスマキ作品の常連俳優、サカリ・クオスマネンがヴィクストロムを演じる。カウリスマキの愛犬ヴァルプの名演も見逃せない。

売上アップを目指して試行錯誤を続けるヴィクストロムたちは流行りの“スシ”にも挑戦し、シュールなコントのようなエピソードの数々はまさしくカウリスマキ印。どの登場人物に対しても等距離を保ち、その客観性がすべてのキャラクターにリアリティを与えている。例えば、ネオナチの男たちは自分たちがつけ狙う“獲物”がどこから来たのかも理解していない。無知が見当違いの憎しみを増幅させる事実をそのままの形で描き、その愚かさをはっきりと観客に伝える。
日本語の歌やフィンランドのロック、カーリドによる伝統楽器サズの演奏など、全編に流れる多様な音楽に物語を語らせているのも、カウリスマキらしい演出だ。

カウリスマキは、「この映画で目指したのは、難民のことを哀れな犠牲者か、さもなければ社会に侵入しては仕事や妻や家や車をかすめ取る、ずうずうしい経済移民だと決めつけるヨーロッパの風潮を打ち砕くこと」と語った。カーリドは他者の情に救われながら、それにすがりつくだけではない。運命に翻弄されながら、人間として生きようとする彼の目に映る希望のかなたはどんな風景なのか。原題『The Other Side of Hope』が示すものは何なのか、じっくり考えたくなる。(文:冨永由紀/映画ライター)

『希望のかなた』は12月2日より公開中。

冨永由紀(とみなが・ゆき)
幼少期を東京とパリで過ごし、日本の大学卒業後はパリに留学。毎日映画を見て過ごす。帰国後、映画雑誌編集部を経てフリーに。雑誌「婦人画報」「FLIX」、Web媒体などでレビュー、インタビューを執筆。好きな映画や俳優がしょっちゅう変わる浮気性。