『ヒトラーを欺いた黄色い星』クラウス・レーフレ監督インタビュー

ナチスの本拠地で迫害をかいくぐった1500人! 驚きの実話を監督が語る

#クラウス・レーフレ

ナチス政権下のベルリンに、7000人ものユダヤ人が潜伏していた

第二次大戦下のドイツの首都ベルリン。ナチス政府はユダヤ人一掃を宣言したが、実際には約7000人のユダヤ人が潜伏していた……。ユダヤ人迫害が激化する中、生還者たちはどのようにしてヒトラーを欺き、生き残ったのか。生還者の声をもとにしたドキュメンタリー・ドラマ『ヒトラーを欺いた黄色い星』が7月28日より公開となる。

テレビ界で活躍するクラウス・レーフレ監督は厳密な調査のもと、潜伏開始時16歳〜19歳だった4人の生還者にインタビューし、生きる希望を捨てなかった若者たちの驚きの実話を映画化した。制作にあたっての経緯や重要なシーンについて、監督に話を聞いた。

──この作品の企画はどのように始まったのですか?

『ヒトラーを欺いた黄色い星』
(C)2016 LOOK! Filmproduktion / CINE PLUS Filmproduktion (C)Peter Hartwig

監督:実は別のドキュメンタリーから始まったんだ。僕は10年前に、サロン・キティと言う名前で知られているナチスの諜報活動に使われた娼館についてのテレビのドキュメンタリー番組を製作した。サロン・キティはドイツの諜報局に盗聴器を仕掛けられた外交官や、軍の高官が出入りしていたところなんだ。しかし、ベルリン出身の1人のユダヤ人女性が、偽の身分証明書でそこに隠れていた。これが僕の好奇心をかき立てた。僕は、共同作者であるアレハンドラ・ロペスと一緒に、他にも違法で隠れていたユダヤ人ベルリン市民がいたのかを調べ始め、すぐに「これは面白いことになる」とわかった。隠れていたユダヤ人は数人なんてものじゃなかったから。1943年10月から1945年4月までの間に、7000人ものベルリン住民が地下に潜伏しようとしていたんだ。
 第二次世界大戦の初めには、16万人ものユダヤ人がまだドイツに住んでいて、そのうちのほとんどがベルリンにいた。退去を迫られた後もベルリンに残った7000人のうち1500人以上の人々が生き残ることができたのは、善意あるベルリン住民が当局の命令に背いたからだ。この面で、この映画は抵抗運動の歴史の一部を描いていることになる。これは、当初から僕たちにとってとても重要なことだったんだ。ストーリー自体がとてもエキサイティングで感動的で感情を揺さぶるものであるということとは別にね。

──どのように当時の出来事を実際に体験した人たちを見つけたのですか?

監督:まず、ベルリンにあるドイツ抵抗運動記念館をあたってみた。そこでは闇で展開されていた物語を、歴史家たちが何年もかけて研究してきた。彼らの助けがあって、僕たちは最初の取り掛かりを作ることができた。生き抜いた人たちの多くは、戦争が終わった後、ベルリンから出て行ったことを知った。ほとんどがアメリカ、南アメリカ、フランス、スイスなど海外に移住した。僕たちは、2009年に初めてのミーティングを行ってから、徐々に4人の生存者に焦点を当てるようになったんだ。
 1922年生まれのツィオマ・シェーンハウスは、ベルリンで暮らすユダヤ人の若者だった。当時はパスポートを偽造する仕事をしていたが、戦後はスイスで暮らした。
 パリでは、以前はハンナローラ・ヴァイゼンベルクという名前だったハンニ・レヴィに会った。そしてそこにルート・アーントが加わった。ルートはベルリン・クロイツベルク区の医者の娘で、戦後、潜伏生活中に出会って恋に落ちた青年と結婚していた。2人はそれで苦難を乗り越えることができたんだ。
 4人目は、最年少のオイゲン・フリーデ。オイゲンもベルリン・クロイツベルク区に住んでいた。彼の継父はクリスチャンで、母親は、(ナチスドイツが制定した)ニュルンベルク法のために、迫害を受けなかったんだ。だからオイゲンの場合は、家族の中で16歳のオイゲンだけが(ユダヤ人を選別するための)黄色い星をつけなければいけないと言うとても特異な状況だったんだよ。

『ヒトラーを欺いた黄色い星』
(C)2016 LOOK! Filmproduktion / CINE PLUS Filmproduktion (C)Peter Hartwig

──この映画では、映画のシーンとインタビューが混ざり合っていますが、この構成についてお話しいただけますか?

監督:僕たちは、この4人の物語をできるだけ真実に近く、信ぴょう性があるようにしたかったから、このようなハイブリッド式にしたんだ。主人公のモデルとなった人物の端的な語りで、ストーリーが力強く説得力を増し、テンポも良くなった。様々な観点が織り込まれてとても良い効果を発揮したんだ。この映画の主人公たち、つまり、当時の実際の出来事を体験した人たちは、人生の終わりに近づいている年配の人たちなんだけれども、活力と光に満ちた目で自分たちのストーリーを語るんだよ。そしてどこか、全てを受け入れたような口調で語る。彼らは、ベルリンにいる全てのドイツ人がナチスだったわけではないことを体験した。良い人もいたんだ。それが印象に残ったんだね。だからと言って、寛大に許しているわけではない。でも和解の手を差し伸べているんだ。これもこの映画が伝えるべきメッセージだと思う。

──4人の主人公のストーリーは、平行して起こっている出来事で、交差することなく語られます。様々な出来事に登場する2人の人物がいて、その1人がヴェルナー・シャルフですね。

監督:ヴェルナー・シャルフは、ベルリンで育った職人で、彼は正しい心を持っていた。彼はツィオマ・シェーンハウスとその友人ルートヴィッヒ・リヒトヴィッツと一緒に、ヴァルト通りにある作業場を借りる。こんなことができたのは、アフガニスタン大使館で運転手の仕事をしているベルリン住民のおかげに他ならない。彼は後にゲシュタポに逮捕される。普通だったら、アウシュヴィッツに送られるところだが、彼は幸運にも、テレージエンシュタットの収容所に連行されただけで済んだ。シャルフは、その収容所から脱出することに成功した1人であり、最終的には、ルッケンヴァルデに住むある家族のところにたどり着いた。この家族が、オイゲン・フリーデを匿(かくま)った家族だった。シャルフは、他の不法住民とみなされた人たちと同じような隠れ方はしなかった。彼は、アウシュヴィッツに収容されている人たちがガス室に送られたことを、テレージエンシュタットにいる時に知って、怒りに満ちていた。だから彼は抵抗運動を始め、ビラを撒き始めるんだ。この役はフロリアン・ルーカスがとても熱心に演じてくれた。

──シャルフが英雄的な役柄である一方で、裏切り者のユダヤ人女性シュテラ・ゴールドシュラグは敵役のようなものですね。

監督:シュテラ・ゴールドシュラグは、悲劇的な人物なんだよ。当時の彼女は20代前半で、非常に魅力的で、自分から潜伏生活に入ったが捕まってしまい、ナチスに協力するように圧力をかけられる。彼女はその圧力に屈し、ゲシュタポの密告者となって、いわゆる「キャッチャー」としてベルリン市内をうろついて人間狩りに情熱を注ぐようになる。彼女は潜伏しているベルリンのユダヤ人を何百人と死に向かわせる。主人公のうちの2人も彼女と接触していた。ルート・アーントとツィオマ・シェーンハウスは、デザインの学校で彼女を知っていたんだ。

──イェルク・ヴィトマーが撮影監督をつとめています。テレンス・マリックの作品も撮影している著名なカメラマンですが、彼と仕事をするようになったきっかけは?

監督:僕は、割と動きのある画が得意で、本作に関しては詩的なアプローチをとるカメラマンが必要だと思ったんだ。近代史をテーマにした映画の中によく出て来る典型的なナチスの姿は欲しくなかった。お年寄りが語るストーリーには、何か神話的なものがあるべきだと思った。お年寄りたちのストーリーには、関係を修復したいという姿勢がベースにありつつも、同時にサスペンスとユーモアもある。だから僕は、詩的な色合いの表現を求めて彼と一緒に仕事をすることに決めたんだ。彼はそれを見事に達成してくれた。

クラウス・レーフレ
クラウス・レーフレ
Claus Rafle

脚本も含め、テレビの長編ドキュメンタリー番組を数多く手がけ、高い評価を得てきた。テレビドキュメンタリー作品『Die Heftmacher』(92年)でドイツ学術交流会(DAAD)のグリム賞の年間最優秀ジャーナリズム賞を受賞。その他、映像にまつわる賞を多数受賞。近年の主な作品は「Geheimnsvolle Orte: Die Avus」(13年)、「Deutsche Dynastien: Die Hardenbergs」(13年)、「Deutsche Dynastien: Die Bismarcks」(15年)など。