『誰のせいでもない』ヴィム・ヴェンダース監督インタビュー

他人の苦しみを創作活動に利用する罪悪感を語る

#ヴィム・ヴェンダース

作家は皆、内向的で孤独でミステリアス

『ベルリン・天使の詩』、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』などの作品で世界を魅了してきた、巨匠ヴィム・ヴェンダース。彼の最新作『誰のせいでもない』は、思わぬ事故が人々の人生を一変させてしまう様子を、サスペンスフルに描き出した人間ドラマだ。

一面の雪景色の中を走る1台の車と、丘からソリで滑り落ちてくる幼子。そして一瞬の出来事がもたらす悲劇……。ジェームズ・フランコ、シャルロット・ゲンズブール、レイチェル・マクアダムスら実力派を配した本作について、ヴェンダース監督に語ってもらった。

──ノルウェーの作家、ビョルン・オラフ・ヨハンセンのオリジナル脚本を映画化した作品ですが、物語のどんな部分に引きつけられたのですか?

監督:“罪悪感”です。脚本に書かれていたのは、事故をおこした男性作家が有罪かどうかというような話ではなく、作家や映画監督の創作活動に実生活を利用すること、あるいは“食い物にする”ことによる罪悪感についての物語でした。他人の経験や苦しみを物語や映画に変えて、自らの仕事に使うことが許されるのか? この映画では、結果的に事故のトラウマがトマスを良い作家へと導きます。一つの出来事が彼に自己啓発をもたらし、それが仕事に活かされたのです。このようなとき、私たちにはどういった責任が発生するのでしょうか? これはとても根本的な問題です。事故を起こしたという直接的な意味に限らず、その出来事でつながった見知らぬ人との関係は一体何なのか? その人たちはその後の人生でどれだけ影響を受け続けるのか? これらは、トマスに限らず、私たちに関わる普遍的な問いかけです。

ヴィム・ヴェンダース
WW©DonataWenders2004

──主人公のトマスの姿にはあなた自身が反映されているのでしょうか?

監督:創作活動と現実の中で良心の呵責が生まれるという点では、イエスです。しかし、私がこの脚本をとても気に入ったのは、トマスが明らかにフィクショナルな人物像で、私が外側から観察できる人物だったからだと思います。私から若干の面を引き継いでいるかもしれませんが、私よりも『都会のアリス』のフィリップ・ヴィンターや、私の2大ヒーローである『さすらい』の“ カミカゼ”と“道の王”のほうが確実に近いでしょうね。
 トマスはどちらかと言えば内向的です。クリエイティブな人間で、作家で、“ミステリアス”。作家は全てを言葉に変える、この孤独で謎めいた仕事のために、恐らく出会いや会話の中で浪費できないのです。ペーター・ハントケ、ポール・オースター、マイケル・オンダーチェ、もしくはサム・シェパード、私の知っている作家たちもとても内向的で孤独で、私にとっていまだにミステリアスな存在なのです。トマスも謎めいた人物で、彼は自分に起こったことの多くを自分自身の中に留め、本の中だけで発展させます。
 しかし、映画として、単に動きのない男性を2時間見ていたいとは思いませんから、彼のリアルな感情を観客に提示したいと考えました。それがうまくいったのは、内面が“透ける”やり方でトマスを演じたジェームズ・フランコをキャスティングしたことで、観客がトマスを理解できたからでしょう。女性たちとの関係はトマスの心をほんの少し開かせます。場合によっては、ですが。とりわけトマスを自分の殻から引き出すのは、2人の子どもです。

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私の眼には、本当のヒーローは母ケイトです
撮影中の様子。主演のジェームズ・フランコ(左)とヴィム・ヴェンダース監督(右)

──ジェームズ・フランコをトマス役に起用した理由は?

監督:彼に初めて会ったときの握手で、私は即座に彼がこの役に相応しいと心から確信しました。役者としてだけでなく、彼自身も作家であり、クリエイティブな人物なので、映画で描かれる根本的な葛藤を理解できるのです。しかし、事前に、俳優がカメラの前でどんな感じになるか、本当には知ることはできません。真実は撮影初日にのみ暴かれるのです。ジェームズは驚異的な存在感を持っていました。常に集中し、そして彼は常に現場にいたんですよ。撮影がない時も、近くで静かな場所を探し、読書していました。修士号の論文のため準備をしなければならず、撮影現場で朝から晩まで読書をし、20冊くらいの本を隅から隅まで読んでいましたね。撮影直前になって「ジェームズ、準備ができたよ」と伝えると、次の瞬間、彼は本を傍らに置き、トマスに戻るのです。

──息子を亡くす母親ケイトをシャルロット・ゲンズブールが演じていますね。

監督:当初、私たちは別の女優を考えていましたが、彼女は家庭の事情から辞退、一からケイト役を考え直したとき、すぐにシャルロットが浮かんだのです。彼女と最初のシーンを撮ったとき、「ワオ! 他の誰がこの役をできるんだ?」と思いましたね。

『誰のせいでもない』
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 トマスは短い時間で、性別を超えたとても強い結びつきをケイトと築きます。わずかな時間しか一緒に過ごさないにもかかわらず、2人の運命は密接に絡み合い非常に親密になります。彼女は彼の助けになると考え、彼女の生活に彼をひととき招き入れます。それは非常に無欲な行動です。ケイトは孤独を感じず、あるいは苦痛なく1人で生きることができるような人間なのです。彼女は孤独をポジティブなものとして見つめることができ、そしてそれは非常に強力な特性です。私の眼にはこの映画の本当のヒーローはケイトです。

──映画の中で重要な役割を果たす時間の経過について、話してもらえますか?

監督:本作はビョルン・オラフの1作目の脚本で、彼の時間の跳躍の扱いが面白かったことにすでに気づいていました。まるで自分がリアルタイムで見ているかのように時が経ち、それから突然数年が過ぎ、次の現実の断片へと進むのです。この跳躍と省略は、時間、年齢を重ねること、忘却、トラウマの変化だけでなく、罪悪感や、あなたから離れない過去を描く、ひとつのエキサイティングな方法です。ある人物の2年後や4年後の様子を突然目にし、そこに全く説明はなく、観客はその間に何が起こったのか推測しなければなりません。そして2年後また起きた出来事を理解し、そして出来事がまた起こる。そういうことです。そこに説明はありません。

ヴィム・ヴェンダース
ヴィム・ヴェンダース
Wim Wenders

1945年8月14日生まれ、ドイツ出身。67年より映画監督の活動をスタート。『アラバマ:2000光年』(69年)等の短編映画8本を製作した後、『都市の夏』(70年)で長編監督デビュー。『都会のアリス』(74年)、『まわり道』(75年)、『さすらい』(76年)がロードムービー3部作として高い評価を得た後、『ことの次第』(82年)でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、『パリ、テキサス』(84年)ではカンヌ国際映画祭パルムドールを獲得。次いで『ベルリン・天使の詩』(87年)でカンヌ国際映画祭監督賞を、その続編『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース』(93年)でカンヌ国際映画祭審査員グランプリを受賞。さらに、音楽ドキュメンタリー『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(99年)が世界的に絶賛され、『Pina/ピナ・バウシュ 躍り続けるいのち』(11)がアカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされる。その他、『アメリカの友人』(77年)、『東京画』(85年)、『夢の涯てまでも』(91年)、『エンド・オブ・バイオレンス』(97年)、『ミリオンダラー・ホテル』(00年)などを監督。